9・6「許さない会・千葉」結成集会

場所:千葉市民会館

主催:国労5・27臨大闘争弾圧を許さない会・千葉
リポート : マリオン 
結成舜会のようす 昨年12月,「国労5・27臨大闘争弾圧を許さない会」が結成され,8ヶ月が経ちました。各地での「許さない会」の結成が進み,現在20ヶ所余りのところで発足しています。保釈署名も3万筆を越えました。公判も証人調べが始まり,この弾圧が国労東京地本の一部幹部と警視庁公安部との癒着・結託によって引き起こされたものであることが明らかになってきています。
 千葉においても,必死で闘っている8名とそれを支えるご家族のがんばりに何としても応えようと,「許さない会・千葉」を結成する運びとなりました。9月6日,その結成集会が約50名の参加で行われました。

 集会は,司会の国労労働者の開会のあいさつで始まり、呼びかけ人代表の事業団労働者と国労労働者からあいさつが行われました。

 続いて,弁護士の一瀬敬一郎(主任弁護人)さんから,特別講演が行われました。講演は,「暴力行為等処罰に関する法律」(暴処法)の違憲性ということについて,暴処法の制定の経過,制定直後から労働運動などの弾圧に適用されてきた事例が語られ,そして現在の裁判の状況について説明がありました。
 最後に,「侵略戦争に反対して,体を張って立ったとき,国家権力が労働運動に弾圧をかけてくる。外へ向けた侵略戦争に突き進むとき,内へ向けた治安弾圧が吹き荒れる。弾圧との闘いは労働運動にとって重要な闘いで,この弾圧をうち破ったとき労働者の側が勝利を獲得することができる。
 確認しておくべきことは,国家権力が弾圧してきたとき,どういう風な姿勢をとるのかが大事。
被告は,完黙非転向で闘っている。長時間の取り調べもあるし,体を壊している人もいる。どんな弾圧がこようとも,確信を持って闘い抜いていくことが勝利の道。無罪を実現するために闘っていく」と語られました。

 続いて,被告・家族のメッセージが教育労働者から紹介され,カンパアピール,事務局からのお知らせがあり,最後に集会アピールが全員の拍手で確認されました。

 公判の傍聴に駆けつけ,もっと多くの人や団体に賛同会員になってもらって弁護士費用や保釈金をつくりだし,保釈署名をもっとたくさん集めて,一日も早く8名の仲間を取り戻したいと思います。そして,必ず8人の無実・無罪判決を勝ち取りましょう。

 国労5・27臨大闘争弾圧とは
 
 昨年10月〜11月,警視庁公安部は,国労組合員7名(うち闘争団員2名)と国鉄闘争支援者3名を不当にも逮捕しました。うち8名を起訴し,すでに逮捕以来11ヶ月にもなるのに8人(国労組合員7名+支援者1名)は未だ獄中に捕われたままです。
 逮捕の5ヶ月前の5月27日,国労臨時大会が行われました。この国労臨時大会は,四党合意に反対する闘争団員を国労から除名しようという異常な大会でした。
 「四党合意」とは,「国鉄分割・民営化」で,JRが国労、動労千葉、全動労などに所属する労働者を中心に不採用にしたことについて,自民,公明,保守の与党3党と社民党の四党の間で「JRに法的責任がないことを臨時大会を開いて認めよ」という国鉄分割・民営化反対闘争の無条件屈服を迫るものでした。これを国労本部は闘争団員の闘う意思を踏みにじって受け入れて,00年7・1臨時大会で決定しようとしていました。
 この臨時大会の開催に闘争団・家族・組合員らの怒りが爆発。大会の演壇に闘争団員がかけ上がって反対を訴え,国労本部はこの大会で,「四党合意受け入れ」決定をすることができませんでした。その後,国労本部は,全国大会の度に機動隊を導入し,4党合意から4度目の大会の01年1・27に「JRに法的責任なし」を決定しましたが,反対闘争はますます拡大していきました。
 こうした事態に苦り切った与党3党は,02年4月26日に「5月末までに反対する闘争団を切り崩し,中心人物を除名しない限り4党合意から離脱する」との最後通牒を国労本部に突きつけました。この「与党3党声明」を受けて開かれた大会が,5・27臨時大会(02年)でした。

 この5・27臨時大会の際、「闘争団を除名するな!」と
ビラまき・説得活動をした者に,警察権力は『暴力行為等処罰に関する法律』違反を適用し逮捕・起訴したのです。国鉄分割・民営化に反対してきた国労の組合員の人達が,首を切られた闘争団の除名に反対し,その中止を求めることはまったく当然のことであり,ビラまき・説得活動は労働者の団結権を行使する正当な組合活動のはずです。
 警視庁公安部や検察庁の狙いは,四党合意に反対する闘う国労組合員を逮捕・起訴することによって国鉄1047名闘争を分断・破壊することでした。まさに今回の弾圧は国鉄闘争つぶしの大弾圧です。
 労働運動への権力の弾圧を許せば次には戦争がやってきます。今年,米・英によるイラク侵略戦争が強行され,6月には有事3法が成立し,7月には「イラク特措法」(自衛隊派兵法)が制定されました。これと一体で労働法制が改悪され,共謀罪の新設など治安弾圧法の制定がもくろまれています。
 8名の労働者は,長期勾留にも負けず,「私たちは無実です。裁かれるべきは私たちを逮捕・起訴した警察や検察であり,警察に売り渡した国労本部派です」と訴え,東京地裁で公判闘争を闘っています。

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住基ネット本格稼働−どうなる私たちのプライバシー

とき:’03年9月6日

ところ:稲毛サティ文化ホール

主催:市民ネットワーク・千葉県

リポート:マリオン
循基ネット本格稼動にともなう講演会‖多数の子加者の写真 住民基本台帳ネットワークシステム(住基ネット)が,昨年8月5日の第一次稼働(11桁の住民票コードの通知)に続き,8月25日第二次稼働を開始し,本格的に動き出しました。そんな中,市民ネットワーク・千葉県の主催で「住基ネット本格稼働−どうなる私たちのプライバシー」と題する集会が,9月6日行われました。
 情報公開クリアリングハウス理事の奥津茂樹さんの講演をメーンに,それと各地での取り組みの報告が行われました。

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今年も「大阪のなかの沖縄」へ!

とき:’0314

ところ:平尾公園グラウンド

リポート: M.R.
トツフー踊り 紫の長いはちまきを締めた若者たち 対たたく物 踊りを踊るものなど数十人 今年もまた、9/14に大阪・大正区で開催された「エイサー祭り」を観に行ってきました。

 今年で29回目を迎えて、会場の平尾公園グラウンドには 身動きできないほどの観客が詰め掛け、大変な盛り上がりを見せました。
  これもまた、近年の「沖縄ブーム」を背景にしたものであり、この「エイサー 祭り」も、その波に乗って大きくなってきたのは確かなことだと思います。
  しかしながら、祭りのパンフに掲載された担い手側の文章を読むと、これほど までに多くの観客で賑わう現状に、歓迎するというよりもむしろ、戸惑いや危機感のようなものをより深くしている様子がうかがえます。

 「エイサー祭り」はそもそも、関西に根を下ろした沖縄人や、「集団就職」 「出稼ぎ」等で大阪に出てきた沖縄人が、沖縄への偏見・差別をはね返し、 みんなで励まし合おう、誇りを持って「沖縄」を表現していこうという目的で始まったものです。担い手としてはそういう意識で回を重ねてきた。ところが、 かつては沖縄文化に蔑みの視線を投げかけていたヤマトゥンチュが、今度は手の平を返したように「沖縄のことを知りたい」「沖縄文化を楽しみたい」と集まってくる。それは「悪意」があってのことではないにせよ、結局のところヤマトゥンチュの無自覚さ、勝手な都合の押しつけであり、本当の理解とは 言わないのではないか、という、切実な叫びが伝わってくるようです。

 10人の若者によるトツフーの踊り 頭に紫の長いハチマネ‖大太鼓‖小太鼓‖鉦などを持っている|大阪人権博物館「リバティおおさか」の沖縄2世の学芸員・Nさんも、「沖縄ブームと沖縄差別は紙一重。文化は時には持ち上げられ、貶められもする」と言います(同館展示図録「ヤマトゥのなかの沖縄」)。沖縄を本当に理解する とはどういうことなのか、ヤマトゥンチュの側が常に自問自答していく作業の必要性を、鋭く指摘されていると理解すべきなのでしょう。

 つまり、この「エイサー祭り」は「沖縄ブーム」で大きくなった祭りではあるけれども、「ブーム」のなかに回収され、消費されていくことを断固として拒絶する決意を、担い手の側がもっているということだと思います。

 「エイサー祭り」は、来年で30回目を迎えます。このようなヤマトゥンチュへの問いかけ、またヤマトゥに生きる沖縄人の、「沖縄」への向き合い方といったことも含めて、来年の祭りはある種の「ターニングポイント」を迎えるのではないでしょうか。

 さて、今回私は、初めて祭り会場前で「自衛隊イラク派兵反対」の署名集めをしました。祭りを大いに堪能しながら、その合間を見て署名に立ちましたので時間的にはそれほど長くはなかったのですが、46筆の署名が集まりました。
 署名板の垂れ紙を見て進んで署名してくれる人も多く、激励の言葉もたくさんいただきました。

 京阪間のある都市で教師をしている男性は、イラク派兵に反対する仲間は多いが組合の動きが鈍いと嘆き、またある学生は、私がエイサー祭りのいきさつなどを話すと、「沖縄差別があるなんて知らんかった」と驚いていました。
 その他にも、自らの「平和への思い」を語りながら署名してくれた人が多く、それが大変印象的でした。
9・27国際反戦行動

とき:'03年9月27日

ところ:芝公園(港区)・宮下公園(渋谷区)

よびかけ:ワールドピースナウ(芝公園)&ワールド・アクション(渋谷.宮下公園)

リポート:マリオン
舜会後‖不万人署名運動の幡を掲げてデモ行進をする人びとの後姿が写っています| 9月25〜28日,イギリスのSTOP THE WAR連合とアメリカのA.N.S.W.E.R.などの呼びかけで,世界40以上の国や地域で,「End the Occupation of Iraq(イラク占領を終わらせよう)」,「Freedom for Palestine(パレスチナに自由を)」をスローガンに集会・デモが行われました。

 日本でも9月27〜28日に、全世界人民と連帯して、「一日も早く戦争を終わらるために,自衛隊をイラクに行かせないために」,各地で国際反戦行動が行われました。東京では,昼間ワールドピースナウ主催でピースラリー&ピースパレードが芝公園で,夜はワールド・アクション実行委員会主催で渋谷・宮下公園で集会・デモが行われました。多くの労働者,市民,学生などがこの行動に参加しました。

 ワールドピースナウは,2000人が参加し,声をあげる軍人家族の会(MFSO)のJ..スティーブン・クレグホーンさん,元自衛隊員,在日コリアンの女性,法政大学教授の奈良本英佑さん,沖縄・一坪反戦地主の方などが発言していました。在日の女性は,「昨年の9.17,新宿にいてそこで,拉致が事実だったということを知った。目の前が真っ暗になり,今まで感じたことのない恐怖を覚えた。チマチョゴリを着た生徒が通ったが,無事に家に帰れるだろうかと心配になった。私たちには,南も北もない,一日も早くいい関係になればいいと願っている」と発言されました。「北朝鮮脅威論」が声高に叫ばれていますが,彼女のような声にこそ耳を傾けなくてはいけないと思いました。
 ワールド・アクションの集会では,STOP THE WAR連合の人や,反戦自衛官,労働者・学生などが次々と発言しました。米軍家族からのメッセージも読み上げられました。

 アメリカ反戦団体A.N.S.W.E.R.連合は国際的な反戦運動の波をふたたび創り出そうと,10.25国際反戦行動を呼びかけています。アメリカ・ワシントンで数十万人規模の,イラク軍事占領反対と軍隊の撤退を求めるデモ行進が行われます。
 10月25日のワシントン行進にはすでに2000以上の団体・個人が賛同しています。デモの先頭を行くのは退役軍人,反戦兵士,イラクにいる米兵の家族と友人たちです。その後に,アラブ系アメリカ人,イスラム教徒共同体の人々,そしてあらゆる立場の人々が手を携えて続きます。
 イラクの軍事占領を終わらせ、自衛隊のイラク派兵をとめるために,10月25日世界の人々と連帯してSHIBUYA5000人行動を実現しましょう。

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旧日本軍の毒ガス被害を裁く東京地裁の判決を聞く集い

とき:'03年9月30日(火)

ところ:船橋市中央公民館

主催:戦争責任を考える千葉8月の会

リポート:管理人
会場にて‖左から趙平さん(中国の弁護士=律師)‖羅立嬾さん(律師)‖王さん(通訳)‖大江さん(弁護士) この会の挨斬をする代表
左から趙さん(律師:弁護士)、羅さん(同)、王さん(通訳)、
李臣さん(原告)、大江さん(弁護士)
「戦争責任を考える千葉8月の会」代表の開会挨拶
 9月29日に東京地裁(片山良宏裁判長)が言渡した「日本軍毒ガス・砲弾遺棄被害賠償請求事件(第1次)」に対する判決文を原告団・弁護団・支援者の人々が手にしたとき、永年苦汁の中、この裁判を闘ってきた原告(被災者)の悲痛な思いが届いた瞬間であった。

 判決の翌日(30日)、「戦争責任を考える千葉8月の会」の主催によって、この判決を聞く集会が船橋市公民館で開催された。席上原告弁護団のひとり大江弁護士は、「完全勝利、国の不法行為を認め、慰謝料を全額支払うように命じている。格調の高い判決で弁護団も感動した。」と述べた。
 今回の判決の意義について、これまで戦後日本の戦争責任を問う数々の裁判のなかで大きな壁となっていた2つの問題を乗越えたことが指摘された。
(1)時効という大きな壁について、
 被告国が時効の適用によって損害賠償義務を免れることは、著しく正義,、公平の理念に反し、その適用を制限することが条理にかなっていると判示された。
(2)戦争被災国の日本に対する戦争賠償請求の放棄という壁、
 「1972年9月の日中共同声明、サンフランシスコ平和条約14条(b)によって、中国及びその国民の請求権は放棄されている」との被告国の主張に対して、「毒ガス兵器を終戦前後にわたって遺棄し、戦後、日本政府が情報提供・残存毒ガス兵器の処理など実施すべきところ、これを怠ったとによる被害であるため被害者の請求権は放棄されていない」(要旨)と判示した。 
 戦後の日本の戦争責任を問う他の裁判に与える影響は大きかったようである。10月1日の衆院予算委員会において社民党の議員が「控訴を断念するように」と迫ったことに対し、福田官房長官は「慎重に検討してみなければならない」とのべ、この判決が政府に与えた影響の大きさが窺えた。
原告’李臣さん(影)‖左は通訳の王さん
 この集会に体の不調を押して被害者原告団のひとりである李臣さん(左の写真)が出席された。
 李さんは1974年、29歳のとき仕事中に遺棄されていた毒ガス弾に遭遇し被害を受けてしまった。被災直後から症状が現れ、両手にはぶどうの房大から卵大の大きさの水泡ができた。その後、頭痛、吐き気、呼吸困難、渇き、涙、鼻水など毒ガス特有の症状が現れた。病院で治療をしても完治することはなく、現在にいたるまで局所の水泡、びらん、筋肉の萎縮による両手の機能障害が続いている。両手の機能障害により仕事を続けることができず、収入もなくなり正月に家族へ餃子も食べさせてやれなくなった。2度も農薬で自殺を図るなど筆舌に尽くせない苦しみを今日まで味わってきた。
 李さんは体験談を語った後、「今回の判決に対し日本政府は控訴しないで欲しい。日本に対して要望が2つあります。一つは(これ以上悲惨な被害者を出さないために)毒ガス兵器の処理を中国政府と協力して急いで欲しい。二つ目は中日友好を末永く続け、このような悲劇を二度と繰り返さないで欲しい。」と結びました。
中国の弁護士(律師)左側趙さん‖影側羅さん|お二人とも女性の律師です|
 平和に日常生活を暮らしていたある日、突然に遺棄毒ガス弾の被害に遭って一家の生活が破壊され、病苦と生活苦にさいなまれ続けてきた。この苦痛を無視して三十年近くも日本政府が責任回避を続けてきたその非人間性ぶりに愕然たる思いがさせられる。世界の人々が注目する中、勇気ある裁判官の判決に心から敬意を表すると同時に、日本政府は控訴を断念し、被害者とその家族に衷心から謝罪をすべきだ。
 軽口の小泉首相は口を開けば「未来志向、自虐的な考え方から未来は生まれない」などという。人の頭を張っておいて、その痛みを思いやらず、反省もしない、相手に謝りもしないで「仲良くやっていこーぜ」はない。こんなことは幼児にも分る理屈である。まして、計り知れない犠牲者を現在にいたるまで出しておきながら。(写真上中国律師:趙さん(左)と羅さん)

 資料(リンク)
  声 明 
   ・ 遺棄毒ガス・砲弾被害賠償請求事件弁護団
   ・ 中国人戦争被害賠償請求事件弁護団
   ・ 毒ガスの過去・現在・未来を考え、旧日本軍の被害者をサポートする会
  判決要旨
  支援団体
   ・ 中国人戦争被害者の要求を支える会
   ・ 毒ガス被害者をサポートする会

有事法制反対! イラク占領反対!
世界の戦争に反対する仲間たちと!


  <9月の行動の記録 >